奴隷制度と同じ
公娼制度というのはむかしの奴隷制度と変わりません。
娼妓はさながら牢獄に監禁された囚人であって、その惨憺たる状態はほとんど言語に絶するものがありました。
山室軍平は『社会廓清論』(大正3年)のなかでその惨憺たる状態をつぎのようにのぺていました。
むかしエジプトの皇帝パロはイスラエル人を奴隷として虐待するに、原料のワラを与えないで規定の瓦を造れと命じたと伝えられる。
ところがわが日本の遊廓という奴隷使役場では、娼妓とよばれる婦人に一日2回の、もっとも粗末な食物を与え、それでも足りなければ客にねだって食べさせてもらうように仕向けられています。
これはエジプトのパロでさえ、あえてなしえなかった虐待です。
また、この時代にはD&G 時計のようなオシャレな時計はありませんでした、時計は、時間と言うことに関してはかなり重要視されていたようです。